『二人で……歩き、たか……』
隣で、迷いを晴らすように天帝の剣を振り下ろす瞬間、確かに聞こえた呟き。
まるで自分も斬られたかのような痛みが走ったのを覚えている。そして今も、その傷跡は消えていない。
「……きょうだい?」
とにかく開放的ながら場所に行きたくて、レアの私室の向かいにある星のテラスへ足を運ぶと、すでに先客がいた。
こちらを軽く一瞥したベレトは、何も返さずまた虚空の星粒を見上げる。
「眠れないのか?」
「クロードも同じだろ?」
すべてを見透かした発言だった。ますます隠し事ができない関係にまでなってしまって、嬉しいやら困るやら、だ。
ガルク=マク修道院に帰還するまでの間は、いつもと変わらない姿に見えていた。いや、大きな目的の一つだったレアの救出をようやく果たせたことで多少気は抜けていたかもしれない。
「レアさんは大丈夫だろ。目立つ外傷はなかったし、しっかり休養すれば長話ができるくらいに回復するさ」
頭の後ろで手を組みながら告げると、ベレトは黙ったまま首を緩く左右に振った。
彼自身の出自も含め、様々な謎をその身に隠している存在がようやく、手を伸ばせば届く場所にまで辿り着いた。そんな事情もあるからこそ余計に心配しているのではないかと思ったのだが、外れらしい。
となれば、残る仮説はひとつ。
「エーデルガルト、か?」
隣に並ぶ身体が、かすかに震えた。
「先生に一番辛い役目を任せちまったな」
黒鷲の学級の担任だったマヌエラに「俺が行きますから」とすれ違いざまただ一言、反論する間もなく告げられたと後で聞いた。彼のことだ、ドロテアをその手で葬った彼女を気遣っての決断だったのだろう。
『あたくしだってとうに覚悟は決めているのよ。なのに……本当、あの人は優しすぎるわ。いえ、背負いすぎね』
同じ意見だった。エーデルガルトだけでなく、他の生徒のこともだ。
彼の言葉を借りればただ眠ったままだった五年間に報いようとでもしているのか? 誰も、少なくとも自分は全く嬉しくないのに。負い目を感じる必要なんてないのに。
「ベレト」
肩を掴んで強制的に振り向かせた。さすがに驚きを隠せなかったのか、珍しく瞳孔が開いている。
「俺、そんなに頼りないか?」
予想外の言葉だったのだろう、明らかな戸惑いが返ってくる。
「確かに、俺はあんたより年下だ。おまけに元教え子って立場だし。どう頑張ったってひっくり返せない事実さ。でもあんたと再会できることを信じて、それなりに努力してきたんだぜ。守られるばかりの子どもじゃなくなったんだ」
ベレトの肩を掴んでいた手に、ぐっと圧力がかかった。
「そんなこと、考えたことない……!」
若草色の髪を振り乱して、震えた声をぶつけてくる。敢えて、反応はしない。
「お前のこと、頼りにしてないわけないだろ……五年前だって今だって、きょうだいのお前が隣にいてくれるのがどんなに安心するか! お前がいたから、ここまで歩いてこれたのに」
「だったら」
後頭部を引き寄せた。
「だったら、独りで苦しむなよ。ベレトのどんな気持ちも、俺は受け止める覚悟ができてるんだ」
腕の中の身体は、こんなにも細かっただろうか。再会してから何度か熱におぼれる行為をした時は一度たりとも思わなかったのに。
「……クロードだって、苦しんでるのに」
「そりゃあ、きょうだいが苦しんでるのを知らなきゃな」
「売り言葉に買い言葉……」
「はは、なんとでも言えばいいさ」
背中に回した腕に、さらに力を込める。
「俺は……あんたがいないことが、一番苦しい」
エーデルガルトの最期の言葉がじわりと広がる。
時々考えてしまう。
もし金鹿の学級が選ばれなかったら、ベレトに刃を向けられていたのだろうか。少しでも躊躇ってくれるだろうか、潔く死を選べるだろうか、――
おそらく共通しているのは、ベレトへの執着心。
自分も、恨み言のように漏らしてしまうかもしれない。あんたが手を取ってくれていたらと、少しでも爪痕を残してやりたくなるかもしれない。
現に、ベレトはもはや半身に相応しい存在になっていた。これから歩む道の途中でもし、彼の命と天秤にかけねばならない場面に出くわしたとしたら、あらゆる手を尽くして回避しようと足掻く己の姿が見える。
ああ、全くもってらしくない。顔見知りと生か死かの二者択一をしている現実が、少なからず全身にのし掛かっているのだろう。
思わずこぼれた溜め息は震えていた。
「ごめん。五年も寝てて」
微妙な勘違いをしたベレトが頭をすり寄せてくる。
「本当にな。寝過ごさないでいてくれてよかったよ」
あくまで想像に過ぎない。彼は今、こうして隣にいる。五年前の約束を果たしてくれて、共に野望を叶えるべく歩みを進めている。仮の未来にわざわざ囚われるなどくだらない。
「俺はもうクロードの前からいなくならない。絶対」
群青から翡翠に変化した双眸をまっすぐに向けて、告げる。
「当たり前。俺がしっかり監視してるからむしろ逃げられないと思うぜ?」
「それなら安心だな」
ようやくベレトの笑った顔を見られた。頬をなぞると、自然と瞼が下ろされた。
久しぶりの口づけだった。深くするときっと止められないから、呼吸を混ぜ合うだけに留める。
「先生。俺を選んでくれて、ありがとな」
「急にどうしたんだ?」
「言いたくなっただけ」
エーデルガルトには悪いが、ベレトに選ばれたのは自分だ。
彼女の意思を継いですべてに幕を下ろすのが、「選ばれた者」にできること。
傷跡はまだ、おそらく残っている。
もう、気にするだけの余裕はない。
