油断大敵?

「うん、やっぱせっかくだからやっとこうかな」
 オビの報告も聞いた。自分の進むべき道も決まった。冷えた空気が染み渡る夜明けに相応しい、清々しい気分だ。山を下りる足もどこか軽く感じる。
 そんな時に、オビが何かを独りごちた。
「オビ、どうし――」
「お嬢さん」
 振り向いたオビは真剣な表情をしていた。自分の背中で輝く朝日がオビの周りに見える雪をきらめかせ、ちらちらと目を刺激する。
「オ、オビ?」
「失礼しますよ」
 恭しく礼をして、距離を詰めてくる。
 さらに片膝を立てて座り、こちらの手を取ると、頭を近づけて……
 軽い音がした。弾けるような感触が手の甲から走った!
「ちょ、ちょっとオビ! だからそういう、騎士みたいなのはいいから!」
 手を勢い任せに引っ込めようとしても叶わなかった。オビが握っているせいで取り戻せない!
 ああもう、苛立ちさえこみ上げてきた。自分を見上げるオビの瞳が雪のようにきらきらしているから、余計にだ。
「いやいや、せっかくの肩書きですからね。少しは味わわせてくださいよっと」
 逆にあっけなく引っ張られてしまう。ほんの少し両腕を伸ばせば抱き寄せられてしまう距離を作られて、どうしたらいいのかわからない。
「……っぷ。お嬢さん、顔真っ赤」
「オ、オビが似合わないことするから。それにオビだって、赤いよ」
「俺のは寒さだよ?」
「じゃあ、私だって」
 からかい一辺だった笑顔が、変わる。
 うまく言えないけれど、優しくなったような、慈しむような……ただ一つだけはっきりしているのはやはり、嬉しさ。
「お嬢さんの反論、止まったね」
「だ、だってオビが、なんか」
「俺? 俺のせいなんだ」
 口の端が、さらに高さを増したように見えた。
「お嬢さんがそこまで慌ててくれるなんて、嬉しい誤算だね」
「だから意味が」
 距離がついに――埋まった。オビのぬくもりとにおいが近い。近くて、苦しい。
 リリアスへ出発する日に受けたものとは違う。たとえるならばゼンが二人きりの時にしてくれる抱擁に、似ている。
 オビは大切な友人のはずなのに、これではまるで……。
「よし、最後。お姫様といったら、やっぱこれだよね」
 全身が浮いた。比喩ではなく本当に浮いた。
「や、やだオビ、下ろして!」
「暴れない暴れない。しっかしお嬢さん、やっぱ軽すぎ。栄養面もちゃんと管理しないと主に怒られそうだ」
 オビの、心の声がだだ漏れているような笑顔がもはや眩しい。
 もう思考回路は分析を放棄してしまった。放棄せざるを得ないくらい、今のオビは感情しか読めないのだから仕方ない。
 騎士っぽいことをしたかっただけ? それでも抱きしめる必要なんてなかったんじゃないの? なんでずっと嬉しそうなの? 騎士になったことがそんなに嬉しいの? それとも私何かした?
「あれ。お嬢さん、静かになっちゃった?」
「オビがもう、どうしたいのかわかんないから」
「ふーん。それでも顔は赤いままだね。素直だ」
 また、弾けるような感触がした。今度は頬から、した。
「お嬢さん、かーわいい」

「……オビ、それ以上からかったらゼンに直談判して強制送還してもらうから」
「わっ、お嬢さんが木々嬢みたいな顔に」
「もう、からかうのもほどほどにしてよね!」
「ほどほどでいいんだ……」

 ようやく地上に帰ってこられた。軽く身だしなみを整えていると、ふいに視界が暗くなる。
「髪の毛ちょっと絡まってた……ってもう何もしないって」
「さっきの今だし」
「はは。違いない」
 髪に触れた手をひらひらさせて、再び先頭を歩いていく。
 今までの出来事が夢であったかのような気分になった。オビがそうさせる空気を作っているのかも知れないが……あんなの、夢で済ませられるわけがないのに。
「でも……気をつけなよ。男なんて、ふとした拍子で変わっちまうんだから」

 手紙でゼンに告げ口してやろうかと思ったけれど……なんとなく、やめておいた。本当にオビを送還されちゃうのも困るし。
 でも、本当に……オビはどんなつもりで、あんな似合わない行動をしたんだろう?
 変わってしまう。そう呟いた真意は、なんなのだろう?

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