「これつけてただ笑ってくれるだけでいいんだ! だから頼むよエースー!」
「いーやーだー! だってあの時の写真売買されてるんだろ!? それ聞いて受けるワケないですからあああ!」
もう、もう、どうしてこんなことに……!
「朝比奈」
授業が終わり、いつも通り生徒会室へ向かおうと教室を出てしばらくしてからだった。
突如目の前に、三人の生徒が立ち塞がった。
「あ、あの?」
ネクタイの色からするに、二年生らしい。よくわからないが、妙ににこにことしているのがどこか気味悪い。
「急にすまん。俺達は写真同好会なんだ」
「は、はあ」
「頼みがある。コレを付けて笑った姿を写真に収めさせてくれないか」
差し出されたものをろくに確認せず受け取って……驚愕した。引っ込められず固まった手が細かく震え出す。
「な、なんだよコレ……!」
多分犬耳だろうが、そんなもふもふを両サイドに垂らしたカチューシャを渡されるとは思いもしなかった。自分の髪色に合わせてなのか、黒い耳なのがまたなんとも言えない気分になる。
「我らがエースのために選んだんだよ! 最初は猫型にしようと思ったんだけど、ぴんと立ってるよりも垂れ型の方が似合うと思って!」
しかも、誰も求めていない解説まで始めてしまった。
「お前はツンツン頭だからな! 自信はあるんだ!」
通りすぎる他の生徒がちら見しながら通りすぎていくのがとにかく恥ずかしい。公開処刑かこれは。
「と、とにかく! バレンタインの時のコスプレみたいなことはしませんから。あれはそもそもイベントだからやっただけだし」
正面に立つ男子が拳を握りしめながら距離を詰めてくる。
「そこを何とかっ! あの時も売上」
バカ! と左隣に立つ男子に窘められ慌てて彼は口を噤んだが、しっかりと聞いた。
――「売上」って、何だ?
「まさか……」
嫌な予感がじわりじわりと広がっていく。照れを精一杯殺してコスプレした時の恥ずかしいデータが、誰かもわからない人間に、出回っている?
「断る。絶対断る」
自分でも驚くほどの冷淡な声で吐き捨て、素早く踵を返す。が、腕を掴まれて逃げることは叶わなかった。その間に正面に回り込まれてしまう。
どうしよう。どうする。絶対絶対写真なんて撮られたくない。売り物にされたくない!
その時、奇跡的に(自分にとっての)妙案が脳裏にひらめいた。こうなれば一か八かだ。
「……わかりました。じゃあ、つけますんで。片手じゃ無理だから、手、離してくれますか?」
なるべく淡々と、相手の顔は見ずにお願いする。
「あ、ありがとう! ちょっと強引になっちまったけど、エースの可愛い姿のファンって奴が結構多くてマジ助か」
「スキありっ!」
軸足に力を込めて一気に押し出し、目の前の壁の脇をすり抜け前進する。一拍遅れて、写真同好会メンバーの焦った声と足音が聞こえてきた。
「これつけてただ笑ってくれるだけでいいんだ! だから頼むよエースー!」
「いーやーだー! だってあの時の写真売買されてるんだろ!? それ聞いて受けるワケないですからあああ!」
どこに逃げよう!?
必死に行き先を選定しまくっていると、階段から見知った人物が現れた。
「とっ、トモぉ!」
誰よりも安心できる恋人を前にして、自然と走る速度が上がる。こちらの姿を認めた智友は、わずかに目を見開きながら身体を受け止めてくれた。
「トモっ、助けて! 俺、コスプレ写真、売られる!」
息も絶え絶えになりながらなんとかそう告げると同時に、同好会のメンバーも追いつく。肩に置かれた智友の手に、わずかな力が加わった。
「お前……笠原だったか? 悪い、俺ら、エースに用事があるんだ」
「ふーん。でも、俺も用事あるんですよ。俺というか、ジョーカーさんが」
背中から聞こえる彼らの声に、明らかな動揺が走る。
「どっちを優先すべきかなんて、皆さんならわかりますよね。さらにエースは、あの人のお気に入りでもあるんですし」
きっと智友は上級生でもお構いなしに、不敵な笑みを浮かべているに違いない。そしてそれは、彼らに「本当かも知れない」という疑念を抱かせることにも成功したのだろう。
「し、仕方ねえ……。今日は、諦めるよ」
慌てて去っていく足音に、深い溜め息が漏れる。助かった、本当に助かった!
「ありがとう、ありがとうトモ!」
こうして頼りになる姿を目にするたび、何度も惚れ直してしまう。伊達にこの学園の理事長じゃない。
「だからバレンタインの時も自重すればよかったのに。どうせあれが原因なんだろ?」
「だ、だって、高東さんに逆らえるわけないじゃん……」
「ま、過ぎたもんは仕方ねえな。ところでコスプレって、その手に持ってるやつ?」
智友の問いかけに、うっかりカチューシャを持ったままだったことを思い出した。
「そうなんだよ。これつけて笑った写真を撮らせてくれって言われてさ。それ、多分校内で売るつもりだったんだと思う。とんでもないよな! 大体、売れるわけないし」
大体、男が犬耳カチューシャをつけて笑った姿など誰が喜ぶのか。薄ら寒いだけに決まっているのに。
仮に喜ぶ奴がいるとしたら、相当な物好きに違いない。
少しの間言葉を止めた智友は、ふいにこちらの手を取って勢いよく歩き出した。行き先は、なぜか理事長の控室だ。
「ト、モ?」
智友の思惑が読めない。
ソファに腰掛けた当の本人は、所在なげに立つ自分を見上げて、にっこりと告げる。
「勇気。それ、つけてくれよ」
一瞬、意味がわからなかった。というかわかりたくなかった。
「じ、冗談だよな?」
「だったらわざわざこんなとこに連れて来ないけど?」
嘘、だろ……。
「に、似合わないよこんなの」
「それは俺が判断する」
「いや、だって俺、男だし」
「あいつらから助けてやった礼、くれねえの?」
それを言われたら、拒めなくなる!
「ず、ずるいぞトモ! お、俺があんなに嫌がってたの見てたくせに!」
「恋人の可愛い姿を俺だけに見せてほしいって思うのは当たり前だろ?」
二人きりの時に見せる大人びた笑顔を携え、正論とばかりに言い放つ姿に混乱するしかできない。まさか彼が、物好きに該当する人間だったなんて。
「ほら、いい加減往生際が悪いぞ」
立ち上がった智友は自然な動作でカチューシャを取り、おもちゃを前にした子供のような瞳をしながらそれを装着させてきた。
「うううっ……!」
恥ずかしい。逃げ出したい。絶対似合うわけがないのに、笑われるだけだってわかっているのに、なんて仕打ちなんだ。
「……勇気」
固く蓋をしていた瞼に軽く触れられ、思わず視界を開くと……満足げに顔を綻ばせた智友で埋め尽くされていた。
「その垂れ耳、すっげー似合ってる。可愛い……」
囁きながら距離をさらに詰めると、今度は唇を、智友の熱で埋められる。
「ト、モ……!」
容赦なく舌を捕らわれ、さらに両耳の真横辺りからかすかな感触も伝わってくる。おそらく犬耳を撫でられているのだろうが、だんだんくすぐったさが増してくる。
「っや、だぁ……」
口づけから逃れて、撫でている智友の両手を払い除ける……が、あまりにも弱々しくて全く効果がない。
なんで、こんなに。
きっと、トモの手つきがいやらしいから。そうに決まっている。
「感じたんだ?」
低音でくすりと笑いながら改めて抱きしめられる。唇がちょうど、カチューシャの先端と耳の間をかすめた。
「ひあっ!?」
吐息を吹きかけられて、甲高い声が溢れた。再び笑われるが、その声ですら刺激に変換してしまう。
「こういう作りモンの耳でも感じるなんて、勇気はずいぶん敏感になったんだな?」
ほんとだよ。俺、なんでこんなに……。
けれど、生まれてしまった疼きをもう、ごまかせない。一度こうなってしまったら、どうすることもできない。
智友の制服をぐっと握りしめて、ゆっくりと目線を持ち上げる。そのまま首に腕を回すと、智友がしたように耳元へ唇を押し当てた。
「お前、本物の犬より可愛すぎ……」
喉を上下させる音を聞いた後、飼い主に心も身体もまんべんなく愛されたのだった。
