沖奈駅に着くと、すでに恋人の姿があった。まだ約束の時間まで二十分もあるのに早すぎる。
慌てて声をかけると、振り向いた悠はいつも以上に眩しく見えた。服装――白のシャツに黒いジレベストを合わせた、初めて見るコーディネートだ――のせいで、雰囲気が違うように見えるから?
ともかく格好よさに関してはさらに洗練されていた。現に女性の惚けた視線がちらほらと飛んできている。当然気に入らなくて、わざと壁を作ってやる。
「ずいぶん早いね陽介。まだ」
「二十分もあるって? それこっちの台詞だっての! つか、どんだけ前から待ってたんだよ?」
「いやいや、あんまり変わらないよ。俺もついさっき着いたばっかりだから」
自称特別捜査隊のリーダーだった名残か、悠は無駄に格好つけたがる癖(あくまで自分視点だ)がある。それがまた発揮されたか、あるいは自分とのデートが楽しみで仕方なかったからとか……。単なる希望に過ぎないのは承知の上だ。
「……ほんと、久し振りだね。陽介」
改まった声で、悠が呟く。
ひだまりのような視線を受けて、自然と口が閉じていく。
「電話もメールももちろん、陽介を感じられるけど……やっぱり、陽介自身には敵わないね」
手を取られたが、抵抗する気は起きなかった。悠のぬくもりが、それを許さなかった。
反射的にその手に力を込める。そのまま抱きしめたい衝動に駆られるが、込み上げてきた感情が邪魔をしてうまくいかない。
「俺、だって……俺だって、ずっとお前とこうして……」
「うん。だからたくさん、二人で過ごそう。陽介の誕生日プレゼントでもあるから、たくさん楽しんで欲しいんだ」
「プレ、ゼント?」
悠はにっこりと微笑んだ。
「今日と明日は、陽介の行きたいところ、してみたいことにとことん付き合うよ。何でも言ってくれ」
突然そう言われても、なかなか浮かばないのが人間である。悠の「びっくりさせたくて敢えて黙っていた」と無邪気に語る姿が一瞬恨めしく思ったほどだ。
それでも気持ちは純粋に嬉しかったので一生懸命考え……まずは、カラオケに行くことに決めた。時間はこれでもかというくらい取ってやった。
「朝からカラオケってきつくないか?」
どことなく乗り気でない悠にふふんと鼻で笑い返してやる。
「いやいや、何を言ってるのかな鳴上くん。さっき君は何でも付き合うと言ってたではないか」
「そ、そうだけど」
悠は、歌があまり得意ではないらしい。
前回仲間達とカラオケに行った時に、直斗といい勝負になるくらい悠の歌声を聴けなかった。ほぼマラカスやらタンバリンやらを持って盛り上げ役に徹していたのだ。
自分含めノリノリな面々が多かったせいもあるが、せっかくいい声を持っているのに歌声が聴けないなんてと、至極残念な気持ちになったものだ。
「だーいじょうぶだって。俺達しかいないんだし、とにかく歌いまくろうぜ。な?」
マイクを渡しながら笑いかけると、珍しく自信なさげな声が返ってきた。本当に歌は苦手らしい。
けれど、折れてなどやらない。これは誕生日プレゼントだ、思いきり堪能しなければ失礼極まりないだろう?
「――わかった。俺、もう弾ける覚悟で歌いまくる」
「おー! いいじゃん、さっすが相棒!」
「じゃあまずは、懐メロで」
「……! す、すげえ感情こもってる! ってか、ちょっと歌い方とか似てるし!」
「次に、昔よく見たアニメの主題歌で」
「さ、さっきの懐メロん時と声ちげー! どっから出してんのその子供声!?」
「今度は陽介に借りた曲で歌いやすそうな奴を……」
「いや、似てる。雰囲気似てるぞオイ」
「弾ける」の言葉通り、悠は様々な歌を歌いまくった。しかも曲によって微妙に声や歌い方を変えている。よほど聴き込んでいなければできない芸当だ。
苦手と謙遜するからとても音痴とか、そういうのを想像していたがとんでもない。むしろもったいない。どうしてあの時に披露しなかったのか!
「いやいや、すげーなお前! マジびっくりしたわ~」
互いに飲み物を口にして一息つく。興奮しながら正直な感想を告げるが、悠の顔はどこか浮かない。
「そうか? それならよかったけど……やっぱり、あんまり人前では歌いたくないな」
「頑なだなー。なんかふかーい理由でもあるわけ?」
少しだけ口ごもってから、諦めたように続ける。
「昔、友達とカラオケ行った時……楽しませようとああやって張り切ったら、俺のイメージと合わないってドン引きされたことがあって。それ以来大人しくするようにしてたんだ」
「な、なるほど……」
あまり付き合いが深くない間柄だったのだろうか。それなら確かに、と頷ける。傍目からすればクールで文武両道の完璧超人な男にしか映らないからだ。
「でも俺らならお前のことちゃーんとわかってるし。天城なんか手ェ叩いて喜ぶぞ? だから」
遠慮なく歌えよ。そう言いかけて口を閉ざす。
「陽介?」
「……いや。やっぱり、ああやって歌うの俺の前でだけに、して」
盛大にくだらなく、けれど自分には何よりも価値のある事実に気づいてしまった。
「この」姿を、他の誰にも見せたくない。恋人の特権にしたい。馬鹿にされてもおかしくないことは承知の上だが、彼の人間性を考えれば何にも代えがたい喜びなのだ。
不思議そうな視線を送っていた悠の双眸が、愉快そうに細められる。アレは絶対、自分の内心を読まれた証だ。
グラスをテーブルの上に置いて、隣に腰掛けてくる。腕がぴったりくっついて落ち着かない。
「ち、ちょい待て悠! ここ監視カメラあっかも知れないから!」
「大丈夫だよ、あったってじっくり観察なんかしてないって。――可愛い独占欲丸出しにされたら、仕方ない」
後半の台詞を耳元で囁かれて、危うくグラスを落としかけた。少しでも意識を逸らそうと、力いっぱい握りしめる。
「そのっ、可愛いってのやめろよ! この年で男なのに可愛いは寒いから!」
「だって本当にそう思うんだから仕方ないだろ? 完二以上に可愛いぞ」
――そうだ。こいつは「あの」完二でさえもそう形容した男だった。
鳴上悠。やっぱりよくわからない、不思議くんだ。
「陽介……」
再び囁かれたと思ったら、自然な動作でグラスを取り上げられる。何を、と振り向いた瞬間に唇を塞がれた。
「お、ま……!」
「ほら、やっぱり可愛い。こんな場所じゃなかったらもう襲って」
問答無用でグーパンしてやった。頬を押さえてしおらしくしている姿がさらにイライラを掻き立ててくる。
「今日は俺が楽しむ日じゃなかったっけ……?」
「ごめんなさい」
――間違っても、少しだけ嬉しかったなどと告げないでおこう。
