「……誰、あれ」
今日は新しい雑誌での撮影だった。初めてのスタッフと環境に緊張はしたものの、無事に終えられた。自分自身の課題もまた見つかったけれど、少しずつ消化していけばいい。
早く凌一に癒やされたいな。
弾む心を懸命に抑えながら足を進めていき、ふと視線をずらす。
凌一が、カメラを手にした男性と何かを会話している。……いや、多分言い寄られている。
嫌な予感がして、歩調を速めた。
「凌一、おまたせ」
「あ、杏。お疲れ様。その……」
「そうか、君、高巻さんの知り合いだったんだね」
男性は納得したように頷く。
「それならなおさら話が早い。どうだろう? モデル、やってみない?」
やっぱり。
「いや、だから無理です。杏……高巻さんみたいにスタイルよくないし」
「さっきも言ったけど、それは謙遜だって。君結構オーラあるし、身体のバランスもいい。鍛えてるんでしょ?」
さすが、見る目があるし、鋭い。一瞬同意したくなるも堪えて、口を挟んだ。
「すみません、彼、私の事務所のアルバイトなんですよ。申し訳ないんですがそういうのは」
「そっかー……うーん、それなら仕方ないか。でも気が変わったら連絡してきて欲しいな。これ、名刺ね。それじゃ」
男性の熱意に押されつつも、何とか退治に成功した。
「凌一、ごめんね! もっと早く気づけばよかったよ」
「いや、大丈夫。それにしてもすごい熱さだった……どう言っても諦めてくれなくて」
「まあ、こういう仕事やってるから観察眼はハンパないんだろうね。正直、わかってる! って思っちゃったもん」
「そう? 俺はいまいちピンと来ないけどなぁ。杏みたいに、遠くから見ててもきらきらしてるとはとても思えないし」
そのまた別の日、久しぶりにお声がかかったファッション雑誌の撮影にて。
「また、誰かいる……」
しかもよく見たら、今度は女性ではないか。心なしかその顔は綻んでいる。
「おまたせっ、凌一!」
自分でもわかるほどのきつめの口調に、一瞬場の空気が止まる。
「お、お疲れ。今日は早く終わったんだな」
「うん。このあと用事あるし、ちょうどよかったね。……ところで、こちらの方は?」
一応言葉だけは丁寧にする。口調はもうどうしようもなかった。
凌一より少し低いぐらいの身長に、すらりとした体型、長い手足。衣装とわかる服装。モデルであるのは間違いない。おそらく、これから撮影予定なのだろう。
「高巻さん、よね。初めまして」
名乗ってくれたが、即忘れた。
「彼、高巻さんの知り合いなのね。雰囲気あるし、とっても格好いい顔してるからモデルなのかと思ったわ」
「……大切な友人なんです」
恋人と宣言できないのが辛い。大切とつけたのは精一杯の反抗だった。
「ふぅん?」
彼女は意味ありげにこちらを一瞥すると、少し離れた場所に立っていたマネージャーらしき人物のもとへ向かった。戻ってきたその手には、小さな紙切れが握られている。
「これ、君にあげる。よかったら、話し相手にでもなって欲しいな」
凌一も呆然とする中、呼ばれた彼女は優雅な足取りで去っていった。
「なんていうか、すごいな」
毒気を抜かれたような声で、凌一が呟く。半ば強引に渡された紙切れを持て余し気味に眺めている。
――そうだ。きっと、今までこういうことが起きなかったのが逆に奇跡だったんだ。
凌一の魅力を甘く見ていた。「いろんな表情が見たい」なんてわがままも押し通すべきではなかった!
凌一の腕を取って、スタジオを後にする。偶然見つけた無人の控室に飛び込むように入って、改めて彼と向き直った。
「……杏。一応言っとくけど、さっきのコレなら当然」
服の裾を引っ張って、唇を奪う。恋人らしさのかけらもない、口を押し付けただけの荒々しいものだったが、これが精一杯だった。
「凌一は、私のだからね!」
珍しく動揺している凌一を今度は抱きしめる。誰にも取られないように、どこにも行かせないように、強く固く腕に力を込める。
「絶対誰にも渡さないんだから、私が一番、凌一を好きなんだから!」
「……杏、ありがとう。だから落ち着いて、ね?」
耳元をくすぐる柔らかい低音に、背中と頭を撫でる優しい手つき。
興奮で熱くなっていた頭が少しずつ落ち着きを取り戻す。目元を親指で拭われて初めて、泣いていることに気づいた。
「やだ……私、みっともない。ごめん」
「全然? むしろ嬉しかったよ。杏からの熱烈な告白聞けたし」
そう返した凌一の笑顔は、パレスで見るそれに近かった。多分気遣ってくれているのだろうが、ズルい。頬に熱が集まっていく。
「俺も杏が一番好きだし、誰にも渡すつもりもない」
いつもはツインテールにしている髪を、撮影に合わせて下ろしている。それを一房手にした凌一はこちらを見つめながらゆっくり持ち上げ、唇を当てた。
「っや、やだ、恥ずかしいよ!」
身を引こうとして、不発に終わった。いつの間にか、腰に凌一の腕が回っている。
心の奥まで射抜いてしまいそうなほどに、視線は情熱的でどこか色っぽい。とても堪えきれずに、固く目を瞑った。
「それ、誘ってる?」
違う!
反論は言葉にならなかった。角度を変えながら何度も深く唇を奪われて、背筋が震える。
積極的になりかける自分をぎりぎりで堪える。誰が来るかもわからない場所に秘匿感を覚え、興奮しているのは明らかだった。
「も、ばか……」
「こんな場所に連れ込んだ杏が悪い」
「ぐっ」
間一髪で解放されたが、すっかり力が抜けてしまった。身体を凌一に預けて呼吸を整えていくと、中途半端に燻った熱も少しずつ放出されていった。
「多分さ、杏は一般人の俺を無理やり連れてきちゃって悪いとか考えてるかも知れないけど」
当たらずとも遠からずだったが、相槌を打つ。
「俺も結構、わがままだと思う」
「全然、そんなことないじゃない……」
「いいや。だってきらきらしてる杏を誰よりも早く見れて嬉しいし、撮影終わったらすぐ俺のところに来てくれる杏がすごく可愛くて、誰にも見せたくないって思ってるから」
――容赦ないぶっこみが、来た。
なんで、どうしてこの人は絶妙なタイミングで世界一かっこいい男になるの。簡単に幸せにしてくれるの。
全然敵わないよ。好きすぎてつらいよ。想いが、伝えきれないし抱えきれないよ。
誰にもこの人のすべてを知られたくない。私だけがわかっていたい、独占していたい。こんな人、他のどこを探したっているわけがないから、しっかり捕まえて離さないでいたいんだ。
「……めがね」
「ん? 眼鏡?」
「めがねは、私が撮影してるときだけ、つけるようにして」
何とかそれだけを伝えて、凌一の胸に顔を押し付けた。
