「リョーイチ! リョーイチ、起きろ!」
聞き慣れた声が聞こえる。一体何時だ? 今日はまだ春休み期間中だが……。
「なあ、起きろって! 大変なんだよ!」
タイヘン? 大変……だとしても、メメントスは消滅したし無罪も証明された。危機はもう去ったはず。
「ワガハイ、ワガハイが!」
モルガナが?
ようやく身体を起こす気力がわいて素直に従い、ぼんやりと声のした方に顔を向けた。
「……どちら様?」
ガンナバウトで世話になった、織田信也のような子供がそこにいた。
「どちら様じゃねーよ! ワガハイだって!」
なぜかモルガナの声が、子供から発されている。モルガナに、実は兄弟みたいなのがいたとか?
「ワガハイ、起きたらこうなってたんだよ! ニンゲンに!」
ワガハイが……人間に!?
今度こそ目が覚めた。
立ち上がった反動でくらくらする頭を叱咤しながら、改めて子供を凝視する。
青い瞳こそ違うものの、もさもさとした黒い髪、間違いない。
「えっと、俺?」
「オマエじゃねえよ、モルガナ!」
ぶかぶかのワイシャツを羽織った、中学生くらいの自分が床に座り込んでいた。身体の中心を両手で押さえ込んでいる理由をようやく察してタンスに向かうが、下着はおそらくサイズ的に合わない。仕方なく部屋着である黒いパンツを渡した。ウエストを紐で調節できるタイプだからずり落ちはしないだろう。
「ふー、ようやく落ち着いたぜ……」
人形のモルガナがぶかぶかの袖で額を拭う。カーテンを開けて辺りを見回しても、やはり猫はいない。
正真正銘、自分そっくりの彼がモルガナだった。無理やりでも、そう納得するしかなかった。
「なんかよくわかんないけど、ワガハイ、ニンゲンになれたんだな」
頭二つ分ほど小さいモルガナは腕を持ち上げたり身体を捻ったりして、改めて全身を確認している。よくわかんないのは自分も同様だったが、幻の花を頭上に散らしているほどにきらきらと顔を輝かせたモルガナを見て、からかったり突っ込んだりする気持ちは湧かなかった。
「ほら、モルガナ。袖折ってあげる。あと裾もね」
再び腰を下ろし、大人しく両腕と両足を差し出すモルガナがとても可愛い。もちろん口に出しはしないが、弟を持つ兄の気持ちを少し理解した気がした。
「よし! じゃあまずは腹ごしらえだな! 行くぞ!」
突風のように階下へと駆けていったモルガナのあとを、一拍遅れてから慌てて追いかける。
いきなり両親の前に姿を見せるつもりか! どう説明するんだ! 生き別れの弟とか苦しすぎるぞ!
「おはよう、凌一。ほら、早く座りなさい」
「休みだっていうのに珍しく早いな。モルガナに起こされたか?」
……え?
リビングの出入口に立ち尽くしてしまう。
両親の向かいに笑顔で座っているモルガナを、両親はあたたかな雰囲気で迎えている。というより、以前から「家族の一員でした」と納得できる雰囲気が、その場に流れているのだ。
おかしい。納得できる雰囲気なのが逆に違和感満載でおかしい。
ライオンハート級の度胸をもってしても、この状況を受け入れるのは無理だった。
「なに突っ立ってんだよリョーイチ! 早く食おうぜ!」
モルガナはもしかしたら敢えて自然な言動を取っているのだろうが、そうだとしても自然すぎやしないか。
再度三人に促されて、しおしおと食卓に着く。ルブランのカレーでない朝食は久しぶりだったが、卓上に並べられた母親手製の和食も久しぶりに味わえて、嬉しかった。
家族間での会話はまだまだ少なかったものの、モルガナがいることで昨日以上に盛り上がったと思う。ささやかでも、作られていない両親の笑顔を引き出してくれた彼には感謝しかない。
「ハハウエの手料理、すごくうまかったぜ! オマエも料理得意みたいだし、チスジってやつだな」
大満足の文字が透けて見える顔で、モルガナは勢いよくベッドに腰掛ける。
「これから毎日、あんなうまい飯が食えるんだな! あ、今度ルブランにも行こうぜ。ゴシュジンのカレー食いたい!」
モルガナは無邪気にはしゃいでいる。
「……今日、外へ出かけようか? 一緒に」
謎は山積みだし、半信半疑な気持ちも消えない。
けれど、モルガナの念願が叶った事実だけは揺るぎなく目の前にある。ならば人間としてできることをいろいろと体験させてあげたいと思うのもまた然りだった。
「えっ、い、いいのか?」
一応は確認しているが、本音はバレバレだ。頷いて、癖っ毛の頭を撫でる。
「ここには俺達の知り合いいないから、兄弟だって思ってもらえるだろうしね。俺の昔の服、ちょっと探してくるから待ってて」
母親に服の在り処を聞き出し、ちょっと色あせたジーンズと黄色い長袖シャツに黒いワイシャツを発掘できた。部屋に戻ると、モルガナはうつ伏せでベッドに寝そべり、自分のスマートフォンをいじっていた。
「おい、変なとこ触るなよ?」
「だーいじょうぶだって。ワガハイを誰だと思ってるんだ? オマエがいじるとこずっと見てたし、ヘーキだよ」
「……みんなに連絡したとか?」
「いや。昨日の今日で大変だし、言うとしてももう少し落ち着いてからだな」
内心安堵の溜め息をつく。原因のげの字すら見えていない状況で、どう仲間達を落ち着かせればいいのかと激しく心配してしまった。
持ってきた服を身に着けたモルガナは、ますます昔の自分に生き写しだった。ジーンズは少し長かったので二、三度折り畳んだものの、大体身の丈に合っていて安心した。
「よし! じゃ、どこに行くんだ?」
「うーん、といっても俺も初心者だからなぁこの辺は」
とりあえずスマートフォンの地図アプリを起動する。周辺は住宅がそこそこで大型のスーパーもなければショッピングモールもない、東京で言えば郊外に近い雰囲気が広がっているようだった。徒歩で十分はかかりそうな距離にある電車の最寄り駅周辺に行けば、渋谷の駅地下モールのように様々な店がありそうだ。
「駅前にいろいろありそうだから、そこに行ってみるか」
「おう!」
言うが早いか、部屋を飛び出す。必要最低限の持ち物をバッグに詰めて、モルガナの後を追う。
「ほら、早くしろリョーイチ!」
「駅前は逃げないから大丈夫だって。焦るなよ」
「つーか、なんでそのバッグ持ってきたんだよ? もうワガハイを運ぶ必要はないだろ?」
言われて気づいた。すっかり骨身に染み付いてしまったらしい。けれど今さらバッグを替えるのも面倒なので、このままで行くことにした。
「あら、出かけるの? 二人とも」
「うん。この辺どういう感じか見ておきたいし、ちょうどいいかなって。あ、モルガナが履けそうな靴ある?」
廊下の奥にある部屋に向かった母親は、数分して戻ってきた。白いスニーカーをモルガナの足元に置く。
「おお、ちょうどいいぞ! 恩に着る!」
頷いた母親はモルガナと自分を交互に見やり、微笑んだ。
「そうして並んでると、本当の兄弟みたいね。気をつけて、いってらっしゃい」
地図アプリをすぐに起動して、現在位置をこまめに確認しながら足を進めていく。慣れない住宅街では、あっさり迷子になるのも珍しくない。
「……何ニヤニヤしてるんだよ」
さっきまであんなに騒いでいたモルガナが妙に大人しいと思ったら、口の端を微妙に持ち上げて明後日の方向を見つめていた。
「なっ、べ、別にニヤニヤなんかしてねーよ!」
「してるよ。目だって嬉しそうに細めちゃって」
負けを認めたらしいモルガナは、立ち止まると足元の何かを蹴るような動作をした。竜司がたまにやっていた癖とそっくりだ。
「……た、ただ」
「ただ?」
「オマエと兄弟みたいって言われて、嬉しいなー、って」
モルガナの喜びが素直に伝わってきて、暖かい気持ちが広がっていく。抱きしめたい衝動は、頭を軽く撫でることで懸命に相殺した。
「俺も嬉しいけど、今のまんまだと俺が兄になるけどいいの? モルガナ的には納得いかないんじゃない?」
つい意地悪を言ってしまったのも……まあ、仕方ない。
「別に、そこはいいさ。ワガハイ、なんだかんだでオマエにいっぱい助けてもらったし」
しかし意外と真面目な回答が返ってきて、逆に自分がしどろもどろしてしまう。一本筋の通った真っ直ぐさは何よりも眩しく、強い。
「ほら、そんなことより! 駅前に行くぞ! 今どの辺なんだ、もうちょっとなのか?」
耐えきれなくなったらしいモルガナに促され、慌てて地図アプリをチェックする。あと五分かかるかかからないかくらいで到着しそうだ。
と、背中から気持ち悪い視線をじわりと感じ、わずかに振り返る。主婦らしき女性二人が、こちらを盗み見ながら内緒話を交わしていた。内容は考えるまでもない。
――昨日の今日なのに、察する人は察するのか……。
「行くぞ、リョーイチ」
頑とした声が隣から響き、わずかに生じた感情のゆらぎを正した。
モルガナの横顔からは、先程の可愛さは綺麗に消え失せていた。弟のようでもない、マスコットでもない、誰よりも頼れる「相棒」の姿があった。
「……ありがとう、モルガナ」
