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【安コVer】
身体が鉛にでもなったように重い。立っているのもつらいほどだ。
おかげで、普段は楽しいだけのポアロのバイト自体がつらい。心のオアシスじゃなくなっている。
壁時計を見やると、仕事終了まで残り一時間を切っていた。幸い客も少ないし、なんとか乗り越えられそうだ。
季節の変わり目で、珍しく体調を崩してしまったか? 今年は気温の変動が激しかったし、ありえなくはないが……仮にも潜入調査中の身としては情けない。
「あの、安室さん? ずっと具合悪そうですけど大丈夫ですか?」
「そうですか? 単なる寝不足ですよ」
ああ、梓にも余計な心配をかけてしまった。言葉を証明するように、空いた皿を取りに向かおうとする。
「こんにちは~」
来客を告げる鈴の音が鳴り響いた。自然と移動した視線の先に、秘密の恋人が立っていた。
視線が絡み合うと、笑顔が一層深まる。
瞬間、すうっと意識が遠のいていった。
「あ、安室さん! 気がついた?」
目を開けた途端、視界いっぱいにコナンの顔が広がっていた。
名前を呟いた声が驚くほど弱々しい。身体を動かそうとして、ひどいだるさに支配されていたことを思い出した。ダメだ、完全に使い物にならなくなっている。
「ここは……」
「小五郎のおじさんの事務所だよ。安室さん、ポアロで倒れたの覚えてる?」
少しずつピントの合ってきたコナンは、眉間にわずかな皺を作ってこちらを見下ろしている。
倒れた瞬間は覚えていないが、探偵事務所に運ばれて恋人の世話になっていることは把握した。
情けない。無理を押し通した結果が、このざまだ。
「僕を運んでくれたのは……」
「梓さんと、蘭姉ちゃんだよ。蘭姉ちゃんは今、買い物に行ってくれてる」
女性にも迷惑をかけてしまうとは、かたなしだ。
「起きたらだめだよ! 安室さん、熱あるんだから」
必死に押し戻そうとする小さな両手に構わず、懸命に上半身を起こしてみる。……帰宅するまではもつかもしれないとわずかな望みを持ってみたが、この衰弱ぶりでは病院送りになる確率のほうが高そうだ。
「もう、言うこと聞いてってば! ……すごく心配してるの、わからないの!?」
それに、この恋人を無駄に心配させるのも、気が引ける。
「……ごめんね。わかった、大人しく世話になるよ」
唇に軽く触れると、まだまだ初々しいコナンはすぐに頬を赤らめた。どっちが風邪なのかわかったものじゃない。
「は、早く横になってよ。じゃないと、台所行けない」
「僕が嘘ついてるんじゃないかって、不安?」
「なんで頭の回転はいつも通りなんだよ……」
君がそれだけわかりやすいんだと返してもよかったけれど、黙っておこう。
嘘でないことを証明してみせると、コナンは足早に部屋を去っていった。
瞼を下ろすと、全身の重みをさらに実感する。額に手をやって、冷却シートが貼られていることに気づいた。体調を崩して他人の世話になるなんて、何年ぶりだろう。
本当なら小五郎が帰ってくるまでにお暇したいところだが、コナンだけでなく蘭にも全力で止められるのは安易に想像できた。なんだかんだで優しい小五郎も一日くらいなら泊まっていけとぶっきらぼうな口調で命令してきそうだ。
思わず笑いがこぼれた。弱っているせいか、胸の中に深く、じんわり染み渡っていく。
「安室さん、なんか笑ってる?」
戻ってきたコナンの手には、ミネラルウォーターのペットボトルが握られていた。
「恋人にかいがいしくお世話してもらうの、久しぶりだなって」
唇をきゅっと引き結んで、美しい青が見事に曇ってしまった。こんなに表情に出るなんて、と驚いたが、彼は結構独占欲の強い性格だった。
コナンの素直な愛情を感じたいあまり、ちょっと甘えが過ぎてしまった。……が、困ったことにもっとと求める声も出ていたりする。
どこまで許してもらえるか、試してみたい。
手を伸ばして頬を撫でる。こちらを捉えたコナンは探るように眉をひそめて、次第に苦笑へと変えていった。予想外すぎる。
「……ちょっと、その苦笑いはなに?」
「だって、安室さんなにか企んでるでしょ」
「あら、バレたか」
「た、体調悪いんだよ? 蘭姉ちゃん帰ってくるんだよ?」
過去の経験からしっかり学んだと言いたげな訴えに、大げさに吹き出してしまった。そういう反応がますます煽るだけだと、気づく様子は未だない。
もちろん、気づかれても困るけれど。
「コナン君が考えてるようなことはしないよ。ただ、甘えたいなって」
ペットボトルをコナンの前に掲げて、思いきり唇を持ち上げる。
「さっき、コナン君は僕に寝ててって言ったよね。でも僕は喉が乾いてる。水が飲みたいんだ。このままじゃ飲めないよね?」
たっぷり十秒はかかっただろうか。
立ち上がろうとしたコナンの腕を素早く掴む。小学生の身体を引き止めるのに必要な力は充分残っていた。
「ばっ、バカじゃないの!? できるわけないじゃん!」
「できるできる。簡単でしょ?」
「口の大きさが全然違うだろ!」
「こんなお願いするの、コナン君が初めてなんだけどな」
動きが止まった。自分もだが、やっぱり「特別」という単語には弱いらしい。
「なんでかな、それだけ君に甘えたいのかも。僕もびっくりだよ」
ゆっくり振り向いたコナンは軽く目を見開いて、もともと赤かった顔をさらに赤くした。
「……そんな顔するのずるい」
「え、どんな顔?」
「内緒!」
年甲斐もなくだらしない顔でもしていたか。それはそれで、恋人でも見られたくなかったかも……。
「い、一回だけだからね!」
もうほとんど力の入っていなかった自分の手を払うと、半ばやけくそな動きでペットボトルの蓋を開け、軽くあおった。
「す、ストップストップ!」
まるで突進でも始めそうな勢いのコナンを慌てて止める。なんだこの色気のかけらもない口移しは。いくら恥ずかしいからと言ってもない。これはない。
早くしろと訴える視線には気づかないふりをして、主導権を握ることにした。
――自分が望む口移しをたっぷり、味あわせてあげなければ。
片肘をついて上半身を支えながら、コナンの頭を引き寄せる。短い悲鳴と一緒に流れ込んできた水を少しずつ、喉の奥へと送り出していく。それでも受け止めきれなかったぶんが唾液と混ざり、口端から滑り落ちていった。
「ふ……っ、ん……!」
水の冷たさと、コナンの子ども体温が心地いい。もっと深く味わいたくて、惑う小さな舌を夢中で絡め取っていく。重なり合った唇の隙間からこぼれる息のあつさももはや、誰のものかわからない。
「っも……みず、ないのに……!」
「恋人からのキスだよ? あれだけで満足できるわけないじゃない」
「ば、ばーろ、ん……!」
ああ、もう一口ほしいな。今の彼なら、おねだりしても素直に受け入れてくれるだろう。
コナンの足元に転がっていたペットボトルに手を伸ばそうとした時だった。
「ただいまー! コナン君、安室さんの具合どう?」
……幸運は、そう長くは続かないようだ。
