一分一秒だってもったいないの - 1/2

 教室に忘れ物をしてしまったのを思い出し、部活に向かう途中の足を引き返す。面倒だが榊に出された追加課題のプリントだし、明日に提出しろと睨まれている手前、無視はできなかった。
「……ん、勇気、と榊先生?」
 目的を果たし、改めて部室に向かう途中で見知った背中を見つけた。
 勇気はいつもの人懐こい笑顔を向け、受けた榊は呆れつつもかすかな笑みを向けている。何らかの会話をしながら歩いていた二人は急に立ち止まり、勇気が軽く頭を下げると榊は室内へと消えた。
 おそらく、勇気は個別授業みたいなものを受けていたのだと思う。数日後に待ち構えている数学の小テストに備えて、赤点を何がなんでも阻止したいからだろう。榊は厳しい教師だが、素直に教えを請う生徒にはわかるまでとことん教えてくれる。
 わかっている。だとしても、勇気の彼氏としては面白くなかった。
 
 
「お前、今日榊先生と何やってたんだ?」
 嫉妬が消えなくて、結局その日の夜に尋ねてしまった。
 隣に腰掛けた勇気は怪訝さと驚きを混ぜた目で見上げてくる。
「放課後、部活に行く途中で見たんだよ。お前と先生」
「あ、なんだそういうこと。数学見てもらってたんだよ。もうすぐテストあるだろ? 赤点取ると宿題が倍になるっていうから、なんとしても阻止したくて」
 予想通りの返答に思わず息をつく。わかりきっていた答えなのに、無駄に緊張してしまっていたのだとしたら少し恥ずかしい。
 そんな反応を目ざとく見ていたのか、勇気はわざとらしく口元に手を当ててこちらを小突いてきた。
「なんだよ〜。トモ、嫉妬か?」
「そうだよ」
 あっさり認めてやると、逆に勇気が戸惑うように固まった。次いで顔が赤に染まっていく。
「お前が恥ずかしがってどうするんだよ、全く」
 呆れながらも、相変わらず素直な勇気が可愛くて、頭に触れて緩くかき混ぜる。面白くなさそうな顔をしているが、こうされることが実は嫌いではないと知っている。
「でも数学なら、俺だって見てやれたけどな」
 普段はやる気をセーブしているだけで、勇気に教えられるくらいの理解力はある。榊を選ぶのが面白くないのは変わらない。
「でも、お前だって課題出されてたじゃん。部活と理事長の仕事もあるのに、忙しすぎるかなって」
 テストはともかく、課題を引き合いに出されると答えに詰まる。それでも恋人のためなら何とかしたいと思うのもまた当然だった。
「仕事は、鈴菱の方で優秀な人も寄越してくれてるし、ある程度なら任せられるんだよ。テストとかあればそっち優先にしろって言われてるし、あんまり気にしなくて大丈夫だって。課題だって、本気出せば何とかなる」
「その本気を普段から出せよな……」
 突っ込みながらも、嬉しそうに身体を寄せてくる。 
「わかったよ。それなら、今度はトモにもお願いするね」
「そうそう。ちなみに『にも』じゃなくて、『に』でいいんだからな」
 その後は二人で勉強をしながら、出された課題もこなした。
 問題の小テストは、勇気も赤点を取らずに済んだらしい。「トモのおかげだ」と満面の笑顔を向けられて、恋人冥利に尽きるという言葉を馬鹿みたいに噛みしめてしまったのは内緒だ。

  + + + +

 榊に、理事長の業務を手助けしてもらった代わりに伊藤へのお使いを頼まれ、人気の少なくなってきた学園内を歩き回る。こういう時に限って職員室にいなかったりするのはどうしてなのだろう。
 残る場所は教室方面だが、ここで見当たらなかったらもう一度職員室に寄ってみよう。
「あ、いたいた。……って、勇気も一緒?」
 どこか似た者同士だと思っている二人が、渡り廊下で笑いあっている。と、気配に気づいたのか、勇気がこちらを振り向いた。一瞬驚いた後に一番の笑顔を向けて駆け寄ってくる。
「トモ! どうしたんだ?」
「や、伊藤先生を探してたんだよ。榊先生から頼まれものがあって」
「榊先生が俺に? なんだろう」
 近づいてきた伊藤が怪訝そうに見返してくる。
「昼に頼まれていたもの、だそうです。これだけ言えばわかるって」
 手に持っていたA4サイズの茶封筒を渡しながら告げると、伊藤はほっとしたように溜め息をついた。
「よかった〜。さすが榊先生、仕事が早いなぁ。早速確認しなくちゃ」
 他に持っていた書類とまとめて小脇に抱えて、伊藤は改めて勇気を見つめた。
「じゃあ俺はこれで行くけど、朝比奈くん大丈夫かな?」
「はい! 教えてくれてありがとうございました」
「またわからないところがあったら言ってね。それじゃ、二人ともまた明日」
 どうやら、今度は伊藤と個人授業をしていたらしい。
 勇気は知らないが、実は伊藤には自分の後見人である鈴菱和希という大物の恋人がいる。それでもやはり、面白くはない。
「ずっと歴史見てもらってたのか?」
「っていうか、わからないところがあったから質問しに行ったんだけど、先生時代のBL学園のこともいろいろ聞いてたらこんな時間になっちゃって」
 歴史だって、他の勉強だって、自分が見てやれる。だからいつでも頼って欲しい。遠慮なく甘えてしまうように、勇気も甘えて欲しい。
 ――そう口にする度胸はさすがになかった。いくら懐の深い勇気でもさすがに引く。自分なら多分そうなる。つい副会長の何事も恐れない性格が羨ましくなってしまった。
「……トモ?」
「ん? どうした?」
 澄んだ翡翠色の瞳を向けられ、必死に内心を隠す。我慢は得意だったはずなのに、勇気が相手だとストッパーは全く動作してくれない。
「ううん、なんでもない。あ、夕飯終わったらお前の部屋に行ってもいい?」
 腕を手繰り寄せながらするりと手のひらを合わせ、包むように握ってくる。勇気の頬はすっかり赤くなっていた。
 ああ、気を遣わせてしまったか。あるいは秘めたわがままを見抜かれたか。
 鈍いようで聡くもある恋人に申し訳なく思いながら、強めに手を握り返す。期待に小さく開かれた口に吸い込まれるように自分のそれを重ねて、唇全体を柔く食む。
「ト、モ……っ」
「続きは、メシ食ってからな」
 控えめに、けれど幸せそうに頷く勇気は、どんなものも霞んで見えるほどに可愛かった。