あなたが悪夢を手放すまで - 1/3

 ……どうしたんだろう。
 いつも隣にいる彼が、いつも以上に隣にいる気がする。
 例えば、昼食の時。いつもなら八神や他のクラスメイト、時には仲良くなった先輩達も含めた大所帯になることも珍しくないのに、「話がある」などと理由をつけては二人きりになろうとする。
 例えば、放課後。生徒会の仕事が特に忙しくないと知れば理事長室、あるいは陸上部の練習に同行させようとする。前者の場合は仕事が一段落すれば「そういう」展開になだれ込むことがとても多い。
 極めつけは、夜。ぶっちゃけ、自分の部屋にはほぼ帰っていない。寂しそうにここにいろ、とか言われたら、わざわざ拒否する理由がないのもあって承諾するしかできない。
 恋人同士として、それらが正しい姿なのかはわからない。誰かと恋仲になるなど初めてなうえに、ドラマや漫画の知識しかない自分が他の手段など思い浮かばないし、単純に甘えてくれているだけだとしたら、嬉しい。
 けれど、どうしても素直に飲み込めない。あの態度には、別の理由があるような気がしてならない。
「そりゃあ、家族にも恋人にもなってくれるって言ってもらえたんだ。嬉しすぎてどうしようもないからに決まってんだろ?」
 以前思いきって突っ込んでみた時は、恋人同士になってから頻繁に見せるようになった、目元を柔らかく細めた笑顔とともに告げられて、それ以上の追求はできなかった。

 上手に隠すのが得意だと知っているからこそ、不安になる。
 上辺の理由に過ぎないと、第六感が叫んでいる。
 一体、何を隠しているんだ。

  * * * *

 最近の生徒会の仕事は、専ら書類の処理だった。
 高東が、あるいは空也が作成した書類に目を通し、問題なければ承認用の判子を押していく。判子を押すだけとはいえ、内容に不備がないか確認する必要のある、十分に大事な仕事だ。
 わかっていても、文字の情報は全く脳に届かない。恋人である智友のことで埋め尽くされていて、正直仕事にならない。提出期限という無慈悲な現実が待っているから機械のように手を動かしているに過ぎない。
「元気がないな、勇気」
 ふいに声をかけられて、顔をあげる。
「空也さん……」
 こちらを見つめるアメジストの瞳は、気遣いの色が含まれている。高東もそうだが、聡い二人の前では仕事モードを無理やりオンにしようと言い聞かせつつ、ここ数日生徒会室の扉をくぐっていたのに、今日は全く叶っていない。それに今更気づいた。
「笠原のことですか?」
 なんでもないと誤魔化そうとした口は、高東が続けた言葉で固まった。
「えっ、た、高東さん!?」
 キーボードを打つ手を止め、こちらを見つめるライトグレーの瞳は心の奥底まで見通しているかのようにまっすぐで、逸らしたいのに逸らせない。
「うむ、バレバレだ」
「朝比奈の態度もそうですが、このところやけに隣に立つ姿を目にしますからね。違和感を覚えない方がおかしいです」
 おもむろに高東は立ち上がり、目の前にカップを置いた。おやつの時間によく淹れてくれる紅茶とわかり、心が少し和らぐ。ストレートではなくミルクが入っているところに彼の優しさが表れているようで、鼻がつんとした。
「笠原くんは、今は理事長の仕事か?」
「あ、うん。部活だったら、無理やり連れてかれてるかも、なんて。ハハ……」
 二人の表情は変わらない。冗談で切り抜けられる状態ではないと、諦めも含めて自覚する。
「君がそうやって悲しそうにしていると、オレ達も悲しくなる。何があったか、話してみたまえ」
「話せる範囲でもちろん構いませんよ。少しでも指針になれればと思っていますので」
 自分と智友の関係を知っているのはこの二人だけだった。常日頃頼りない生徒会長をサポートしてくれる二人には話しておきたいと、智友の許可を得た上で告白していた。
 ――本当は、一人で解決するのは限界だと思っていた。誰かに助けてもらいたかった。
 糸口が見つかるなら、見つけたい。
 カップの取っ手を固く握りしめて、恐る恐る口を開く。
「……あの、なんていうか。こ、恋人同士って、頻繁にくっついてないといけないものなのかな」
「ふむ、今の勇気達のようにか?」
「う、うん。俺、こういう経験って初めてだからよくわかんないんだけど、くっつきすぎじゃないかなって」
「そう、だな……まあ、君達は付き合いたてのようだし、笠原くんがそう思っていても不思議ではないだろうが、正直意外だな」
 やはり、「智友のキャラではない」と感じるようだ。自分の推察に少し自信が出てきた。
「でしょ? 前にトモに訊いてみたんだけど、空也さんと同じようなこと言ってて。でも」
「それが本当の理由ではないと、朝比奈は考えている」
 凛とした高東の意見に、素直に頭を垂れる。
「あくまで第三者的立場の意見ですが、私もそれが本心とは思えません」
「意見が重なったな。オレもそう思う」
 鋭い二人の意見が重なると、途端に説得力が増して心強くなる。解決への道が一気に見えたような気にさえなった。
「どうも笠原は必死と言いますか、あなたに縋っているように見えるのです」
「それに、怖がっているようにも見えるぞ。うまい理由が浮かばないのだがな」
 全く気づかなかった。二人きりの時は無駄に甘えたがりになるが、恋人同士になってからずっとそんな調子だったから、ますます客観的には違和感のある状態なのだと実感する。
「必死になる。恐怖を感じている。そして、朝比奈という恋人の存在。ありきたりな推理ではありますが、あなたを独り占めしたい、失いたくない、そう訴えているように見えます」
 高東らしいストレートさに普段なら羞恥心で埋め尽くされるが、今は少しの違和感を覚えたことが気になって仕方なくなってしまった。
 失う、というワードから連想できるのは、ナオ兄の存在。
 たった一人の肉親を失って、自分と再会するまで独りだった智友は理事長室で結ばれた時に「俺の方がもっと幸せだ」と泣きながら、掠れた声で呟いていた。
 考えすぎかも知れない。けれど我慢に慣れている智友ならば、むしろ……。
「私達の推理、少しは参考になりそうですか?」
 深くなりかけた思考を、高東の声が柔らかく留める。
「その様子だと、糸口がつかめたようだな」
 微笑んだ空也はそっと頭を撫でてくれる。
「恋人という、勇気にしかわからない側面もある。それと照らし合わせてみて、笠原くんにしつこく尋ねてみるんだ。簡単に諦めないのは勇気の美徳だろう?」
 確かに、そうだ。智友とパートナーを組んでいた時も、廃校案を受け入れると意固地になっていた時も、必死に食い下がったおかげで今という時間がある。
「……うん。ありがとう! 空也さん。高東さん」

「失礼します。勇気、いますか?」

 ノックとともに、扉が開かれる。
 渦中の人物が突然現れたことに、動揺を隠せなかった。
「あ、と、トモ……」
 智友の態度はいつもと変わらないが、こうしてわざわざ訪れること自体がすでに違和感だった。
「生徒会の仕事、終わったか?」
「あ、いや……」
 慌てて振り返った先で、二人は揃って首を振った。
「また明日で大丈夫だ。勇気、頑張りたまえ」
「どうにもならかったら、またいつでも」
 敢えてのように聞こえる口調に、何となく意図を察する。
「……ありがとう、ございます」
 泣きそうになるのを堪える。生徒会のメンバーが二人で、本当によかった。
「トモ、迎えに来てくれてありがとう。さ、帰ろう」
 この場でも、寮に帰る道中も、智友は何も話さなかった。
 言葉を発したのは、夕食直後だった。
「今すぐ、俺の部屋に来いよ」