「ちょっ、と、トモ!?」
他の生徒が怪訝そうに見つめるなか、有無を言わせない態度で智友の部屋に連れ込まれる。鍵をかける音が静かに響くと、閉じ込められた気分が強まって思わず窓辺に寄ってしまう。
「と、トモ……どうしたんだよ」
「どうしたは、お前だろ」
静かな憤りを、智友から感じる。直接殴られたわけでも罵られたわけでもないのに、恐怖がせり上がってくる。
「なに。怖がってんの?」
「べ、別にそういうわけじゃ」
「俺から距離取ろうとしてるのは、何で?」
あっけなく捕獲されて、ベッドに押し倒される。近づいてくる無表情をぎりぎりで避けた。
「なんだよ」
「それは、こっちの台詞だよ。お前、なに怒ってんだよ」
「別に怒ってないけど?」
「隠せてると思ってんのか? 俺、そこまで鈍くない。生徒会室に来てからずっと、怒ってるだろ」
張り裂けそうな心臓と戦いながら、反論を重ねていく。
理由はなんとなくわかっている。それでもしょせんは曖昧、智友だけが抱えている悩みがあるに違いない。
先輩達の援護を無駄にしないためにも、ここで流されるわけにはいかない。
「嫉妬だよ」
抑揚のない低音が、鼓膜をなでる。
「俺は生徒会のメンバーじゃないからな。立場上仕方ないとしても、あの人達と仲良さそうにしてると彼氏としては面白くない」
それも理由のひとつと納得できるのは、自分も榊先生の立場が羨ましいと思うことがあるから。理事長という立場で考えれば、一番頼りになるのは先生以外にいない。
「それだけじゃないだろ」
納得して終わらせるつもりは、ない。
チャンスは巡ってきた。
逸らしていた顔を再び、正面に据える。
「それって、どういうことだよ」
智友の表情は変わらないように見える。
返答の声は、かすかに震えていた。
追撃を恐れているのかも知れない。それでも、やめるわけにはいかない。
口の中がからからに乾いて、喉がひりついている。空回りそうな舌を、懸命に動かした。
「怖いんじゃ、ないのか?」
智友の瞳が、はっきりと見開かれた。
ベッドに縫い付ける役割の両腕が、今にも崩れそうなほどに細かく震え出す。余分に力が加わって、顔が歪むほどには痛みが走っている。
「と、トモ!」
唇をきつく噛み締めていることに気づいて、伸ばせない腕の代わりに自らの唇を軽く触れさせる。一度大きな震えが来たかと思えば、力のままに押し込められた。
「んん、っ!」
ただ乱暴に唇を重ねるだけの、思いやりも何もないキスをひたすら与えられる。まるで噛みつかれているようにも思えてきて、息苦しさと恐怖で目元に熱が集中していく。
だめだ。これくらいで押し負けるようでは、智友の真意を探れない。
こんなキスを意味もなくするような男じゃない。きっと理由がある。あるいは逃れようとしているのかも知れない。
理解しなくては。受け止めなくては。智友の誰よりの理解者にならなくては。
「っは、ぁ……っ!」
ようやく解放されて、肺に思いきり酸素を送り込む。智友は無言で浅く呼吸を繰り返していた。俯いていて、顔は見えない。
「……ん、で」
「ト、モ?」
「なんでお前にはバレちまうんだ……」
今にも泣きそうな声だった。
「俺、お前の恋人だぞ。隠し通せるわけないだろ?」
頭を撫でてあげたいが、両腕はベッドに縫い付けられたまま動かせそうにない。
と、その両腕から圧が消えた。代わりに、身体全体に智友の重みがのしかかる。右耳を絞り出すような声が何度も掠めて、たまらず頭に手を伸ばした。
「俺が、いなくなっちゃうかも知れないって思った?」
「……う、ん」
「ナオ兄みたく、いなくなるかもって?」
「……ああ」
「最近、俺とやたら一緒にいようとしたのも、それが原因なんだな?」
「……夢を、見たんだ」
「夢?」
「俺がいる少し先に、笑顔のお前と兄さんが、立ってて」
「俺と、ナオ兄が?」
「俺は、走りながら必死に手を、伸ばすんだ。でも、追いつけない。捕まらない」
「……距離が、縮まらないってこと?」
「二人とも、足は動いてないんだ。でも、追いつけないんだ。それで……粉々に、砕ける」
「くだ、ける?」
「ガラスが割れたみたいに、砕けて。そこで、俺はようやく、追いつくんだ。……意味、ないのに。二人は、粉々なのに」
嗚咽が一段と強くなった気がした。背中の服を固く握りしめる感触を覚えて、智友の背中もゆるく擦る。
「一回だけなら、気にしなかったさ。でも、何度も、見たんだ」
震えが大きくなる。智友がこんなにも怯える様は初めてで、回した両腕の力が自然と増していく。
「何回も何回も、目の前で二人が、粉々になって……気のせいだって、思えなくなって……っ!」
たったひとりの肉親を亡くしたばかりなのだと、改めて実感する。それでもできることが誰よりもそばにいて励まし、慈しみ、癒やすくらいしかない自分の頼りなさに歯がゆさを覚えて仕方ない。
「みっともないって、お前は……呆れるか?」
「そんなこと、思うわけないだろ!」
否定したと同時に智友が顔を持ち上げ、こちらを見下ろした。
涙で歪んだ表情の奥に、苛立ちがちらついていた。吐き捨てるような笑いを受けて何も言えなくなる。
「俺だって馬鹿らしいと思うよ。でもっ……!」
触れるだけのキスは、驚くほど弱々しかった。夢は夢のままだと、自らに言い聞かせるためのキスのようにも思えた。
「……知ってるか? お前、すごい人気者なんだぜ」
反射的に首を振る。その言葉にふさわしい人間は他にたくさんいるのに、断定される理由が浮かばない。
「鷺森さん達やジョーカー達だけじゃない、他にもお前が好きってやつはいっぱいいる……学園のエースを手に入れたいって思ってるやつはいっぱい、いるんだ」
「そんなわけないよ。トモの言う通りだとしても今はベルワン直後だし、なんていうか浮かれてるようなもんだろ? すぐ元通りになるって!」
だが智友は頑なに否定する。自分の考えに固執して、囚われて、こちらの声が全く届いていない。
「先輩達を見てると不安になる……お前をいつも簡単に楽しませて、助けて……俺にはそこまでの力も、経験も、足りないんだ!」
どうしよう。どうすればいい。どうすれば、恐怖に浸かった恋人を救えるんだ。
いくら大丈夫だと訴えても届かないなら、他の手を考えるしかない。死に物狂いで考えを巡らせる。
「怖いんだよ……俺にはお前しかいないのに、俺の前からいなくなることが、怖くて仕方ないんだ!」
「なら、俺のこと、どこかに閉じ込めるか?」
まるで、あらかじめ用意されていた台本のように、すっと言葉が降りてきた。
ようやく、智友の双眸がこちらを捉える。
「そんなに不安なら、いいよ。お前しか知らないようなとこに一生、閉じ込めても」
唇をゆるめて、頬に手を添える。あやすように何度か撫でると、真意を探るように目が細められた。
「でも、そうしたら……多分俺は死ぬ」
呆然と訊き返す声にしっかり頷く。冗談ではなく本気だと、智友が信じなければ意味がない。
――押してだめなら引いてみろとは、よく言ったものだと思う。
「だって、お前とやりたいことができない人生なんて、生きてても意味がないから」
「やりたい、こと……」
再び頷く。言葉がきちんと智友に届いてくれていることに、改めてよろこびと安堵を覚える。
「学校生活もそうだし、一緒に遊んだりとかもしたいけど、一番やりたいのは俺の父さんと母さんに『トモと家族になる』ってそのうち紹介することと、ナオ兄にも報告することかな」
智友が「我慢をしないと決めた」ように、自分も一緒にやりたい様々なことをこっそり計画していた。
二人きりで、時には仲良くなった人達も加えて、智友の笑顔と思い出を増やしてあげたいと思っている。
「それに、忘れたのか? お前、ナオ兄の意志とは関係なしに、この学園の理事長としてもう少し頑張りたい、理想を実現したいって言ってたじゃないか」
息を呑む音がはっきりと聞こえた。
闇に向かって沈み続ける身体をようやく引き止められた手応えを、確かに感じる。
「俺だってこれからも、この学園のためになにかやっていきたいってすごく思ってるんだぞ。お前の右腕……はさすがに無理だけど、それくらいになりたいって」
「ゆう、き……」
「今は、さ。榊先生が一番頼りになるだろうけど。でも、いつか追い越してやるくらいの気持ちでいるんだからな」
副理事長として復帰してもらうつもりでいると智友は宣言していたし、この学園にとって先生が必要な存在であるのも十分理解している。それでも、特に生徒会長という立場でしか成し得ない面もあるだろうし、少なくともやる気の部分では負けていない自負がある。
もう片方の手も、頬に添える。互いの視線を固定して、ひたすらに智友を見つめる。
「これでも、俺のこと縛り付けておきたいって思うか?」
お願いだ、お前自身の言葉で否定してくれ。
お前が縛り付けておきたいなんて馬鹿なことを願う男じゃないって知ってるし、信じてるから。
そんなことをしなくても、俺はいつでもお前のそばにいるし、望めばいつでも助けに行く。
お前の隣を占有できるのは俺だけ。歩くのも、立ち止まるのも、一緒だから。
「俺は……俺は、本当にどうしようもなく、弱いな」
吐息とともに呟かれた言葉に反応する暇もなく、固く抱きしめられる。
「とっ、トモ?」
「ありがとう、勇気。俺のために、発破かけてくれて」
「発破って……」
「お前のこと、どっかに閉じ込めておくなんてできるわけない……そんなことしたら、お前じゃなくなるだけだ。俺は、今のお前だから好きになったのに!」
よかった。
否定してくれた。智友自身の気持ちで、言葉で、誘惑を振り払ってくれた。
「……うん。俺もごめんな、馬鹿なことを言って」
荒療治だったけれど、声が届いて、救い出すことができてよかった。
「でもさ」
向かい合った智友の不安定に揺れるブラウンの瞳からはまだ、大本が消えていないことを示していた。
「臆病なだけだってわかってるけど、やっぱり怖いんだ。だからさ……証拠、くれよ」
最後のワードの意味が掴めず、内心首を傾げる。
「お前が絶対、俺から離れない証みたいなの、欲しい。俺が怖くなくなるまででいいから、くれよ。お願いだ」
そんなに懇願せずとも、叶えない理由はもちろんない。
だが具体的なものが何も浮かばず、時間だけが無駄に過ぎていく。焦りで何時間も経過しているように感じるだけかも知れないが、すんなり冷静になれるほどの度胸は備わっていない。
「……ごめん、何にも思い浮かばないからさ。トモの希望ってあるか?」
恋人らしく格好良く決めたかったが、この際贅沢はいっていられない。智友を救うことが第一の優先事項だ。
わずかに目を見開いた智友は、迷うように視線をさまよわせた後、おもむろにシャツのボタンを外した。
「と、トモ!? 一体なにをっ」
「ここに、キスマークつけてくれよ」
胸の中心に手のひらを押し付けながらの申し出にどぎまぎしてしまう。まさかこんなお願いをされるとは思わなかった。
「で、消えたらまた、つけて。そうすれば、勇気は俺から絶対離れられないだろ?」
「それは……でも俺、キスマークなんて初めてつけるよ」
智友からは、身体を重ねるたびにいろんな箇所につけられる。智友のものであると宣言されているようで嬉しい気持ちもあるから、つけること自体が嫌なわけではないが、やっぱり恥ずかしい。
「強く吸えばいいんだよ。だから、お願いだ。勇気」
切ない声で名前を呼ばれては、言い訳はもはや無駄となった。
キスを交わす瞬間よりも緊張しながら、唇を寄せていく。中心より少しずらした位置――心臓の上に触れると力強い鼓動が伝わってきて、愛おしさがこみ上げていく。
智友も、キスマークをつける時はこんな気持ちなのだろうか?
口先をわずかに窄めて、吸い上げた。
「んっ……」
甘さを含んだ声が頭上から注がれて、身体の奥が痺れる。唇をそっと離して確認すると、薄い跡が生まれていた。
嬉しい。愛しい。安心する。
その感情のままに、指を滑らせた。
「トモ、ついたよ」
撫でる手に、智友の手が重なる。見上げると心から幸せそうな微笑みを浮かべていて、心がゆるゆると解けていく。
「勇気、本当にありがとう。あと、いろいろごめん」
「いいって。お前の助けになれて嬉しいし」
「ほんと、心が広すぎ。お前には一生敵わない気がするよ」
横向きになりながら柔らかく抱きしめられる。足もしっかり絡み取られて、どちらかというとコアラにしがみつかれた木の気分になったのは内緒だ。
それでも、こうして素直に智友が甘えてくれるのは嬉しい。
「このまま、一緒に寝てくれるか?」
「うん、いいよ。俺も眠いし」
「それまでなんか、話でもしてくれよ」
いきなりの難題に眉根を寄せる。今すぐできるような話題といったら……
「明日から、昼メシはみんなで食べような」
「なんだよ、その話題チョイス」
「だって、俺とトモの関係知ってるのって空也さんと高東さんだけなんだぞ。二人きりになるのが嫌なわけじゃないけど……無駄に噂されたりしたら、恥ずかしいよ」
「仕方ないなぁ。わかったよ」
「生徒会室には、仕事の用事とかあったら来いよ」
「……お前を迎えに行くっていうのは、仕事に」
「入らない! 陸上部の練習がある時は、なるべく顔出すようにするから」
「毎回じゃ、ねーの?」
「生徒会の仕事、増えてきてるの知ってるだろ。ただでさえお前が無理やり理事長室やら陸上部やらに引っ張っていっちゃった時も空也さん達に迷惑かけっぱなしだったのに」
「……理事長権限で、優先度を俺にしちゃえば……」
「そんなことして、榊先生にチョークいっぱい投げられても知らないからな」
「それは……怖いな……」
会話を止めると、片耳から規則正しい呼吸が聞こえ始めた。何度も夢を見ていたと言っていたから、まともな睡眠が取れていなかったのだと思う。そういえば授業中の居眠りもほとんどしていなかった。
少しだけ距離を取って、開かれたままの胸元に視線を移す。
つけた直後と比べて、跡は若干薄まっているようだった。
「初めてつけたし、仕方ないけど……明後日くらいには消えてそう」
つけ直そうかなと唇を寄せかけて、止まる。
どうせなら、智友がきちんとお願いしてくれるかどうかを試してみよう。
「あんなにお願いしてたんだから、忘れないでお願いしろよ? 俺、待ってるから」
触れるだけの口づけをして、身体を寄せる。穏やかに脈打つ音と智友のぬくもり、寝息が子守唄のように、眠気を増長させていく。
今日も、これからも、怖い夢がトモを襲いませんように。
俺が、あるいはこのキスマークが、お守り代わりとなりますように。
何度も願いながら、意識を手放した。
