前編 - 1/2

「どちら様……っ!? よ、陽介!?」
「よ、よお。……来ちゃった」
 
 
 窓を開けると気持ちのいい風が頬を撫でた。自然と目を閉じて、ひとつ深呼吸をする。
 つい数日前に新しい我が家となったマンションの室内は未だダンボールが散乱していた。よし、と気合いを入れて早速片付けを始める。
 両親はここに来てから一日休みがあっただけで、すぐに仕事が始まってしまった。忙しくてたまらないと愚痴をこぼしていたので仕方ないと言えば仕方ないが、春休みのほとんどが片付けで終わりそうな気がするのは、やはり気が重い。
 ふと、机に立て掛けた、仲間達と撮った写真に目が止まる。
 稲羽市を離れてから一週間。仲間達とは頻繁にメールや電話のやり取りをしているものの、寂しさは隠せない。ゴールデンウィークにした遊ぶ約束までが果てしなく長く感じてしまう。
 それだけ稲羽市にはたくさんの宝物ができた。仲間、第二の家族、そして……恋人。
 ――陽介。
 仲間で、親友で、相棒で、恋人で。自分にとっての唯一無二の存在だ。
 離れたら絶対に、寂しさと物足りなさを感じてしまう。そう確信していたから稲羽市を離れる前にたくさん陽介と触れ合った。それなのにこうして、別の作業に没頭して無理矢理意識を逸らさないと今すぐに飛んでいきたいぐらいに飢えてしまっている。
 もちろん簡単に会いに行ける距離ではないとわかっている。わかっているからこそ、己をただ律するしかできない。
 溜め息をついて、一枚のCDを取り出す。陽介がくれた、いつも彼が聴いているお気に入りのアルバムだ。これでも流して片付けを頑張ろう。
 それにしても自分は相当に陽介が好きらしい。向こうにいる時も十分自覚しているつもりだったが、予想以上だったみたいだ。……少し、恥ずかしい。
 その時だった。午前中には珍しく、インターホンが鳴り響いた――
 

「い、いきなり来てごめんな。悠」
 ……本当にいきなりすぎて、頭が働かない。
「い、いやさあ、新しいとこどーゆー感じかなぁって気になっちゃってさ。我慢できなかったっていうか……」
 茶色に染まった髪。首にはいつものヘッドフォン。すっかり見慣れたジュネスのVネックシャツに白のジャケット。
 間違いなく、陽介だ。
「……あ、ご、ごめん。もしかして怒ってる? よね、やっぱ」
 本物の陽介が、ここにいる。
 あんなに会いたいと切望していた陽介が、ここに……
「――ごめんなさい、白状します。どうしてもどうしてもお前に会いたくて!」
「入って、くれ」
 何とかそれだけを告げて、背中を向ける。場所は、居間しかなさそうだ。
「お、おお。わかった。お邪魔、しまーす……」
 目的の場所に辿り着いて、足を止める。
 よくここまで、我慢できたと思う。
「ゆ、悠……? あ、の」
 振り向いて、腕の中に閉じ込めた。陽介が戸惑った声を上げているが構わずに力を込める。
「いきなり、ごめん。でも……嬉しくて」
「え、うれ、しい? 怒ってるんじゃなかったのか?」
「嬉しいに決まってるだろ? だって、ずっと陽介に会いたいと思ってたんだから」
「まっ、マジ!?」
 抱擁を解いて、頷く。
「でも稲羽って簡単に行けるような距離じゃないし、全然片付け終わってないし……だから行きたくても行けそうになかったっていうか」
「……確かに、まだダンボールとかいっぱいあるな」
「だからさっきお前の顔見た時……すごく、嬉しかった」
 頬が熱いのはきっと、目の前の陽介に負けないくらい赤くなってしまっているせいだろう。
 けれど、どうしても自分の気持ちを伝えずにはいられなかった。陽介に会いたくてたまらなかったからこそ、大げさなくらいに嬉しいのだと。
 無言で見つめ合う時間がやけに長く感じたところで、深い溜め息をつかれた。前髪を荒々しく掻いている。
「おっまえさー……俺に結構可愛いとか言うじゃん?」
「え? あ、そう、だな」
「でもさ、俺からしたらお前だって十分可愛いぞ。つかまさに今がそう」
 否定しようとするも、失敗に終わる。
 腕を引かれたかと思うと下半身に軽い衝撃が走った。背中に陽介のぬくもりを感じる。
 ……どうやら、ソファに腰掛けた陽介に後ろから抱きしめられているらしい。
 いや、この体勢はものすごく恥ずかしい。バカップルそのものではないか。
「よ、陽介! 離せって!」
「まーまー、たまにはこういうのもいいじゃん。ここには俺らしかいないんだし。今俺もんのすごいいちゃいちゃしたい気分なの」
「だ、だからって! ……っん」
 キスをされる。触れ合うだけでなく、唇をなぞられたり緩く食まれたりを何度も繰り返されれば身体の力も抜けてしまう。抵抗する力をすっかり失ってしまった。
「あんまり激しくしちゃうと、さ。まだ明るいし」
「ばっ……!」
 さすがガッカリ王子だと突っ込みたいところだが、そこもまた愛おしかったりするから悔しい。絶対調子に乗るから本人には死んでも言えないが。
「それにしても、ほんと、久しぶりのお前だなぁ」
 さらに引き寄せられた。頬に吐息がかかってくすぐったい。
「お前が帰る前に腐るほど一緒にいたのに、ぜーんぜん足りてなかったみたいだ」
 陽介も、一緒だった。自分と同じように足りないと感じていたのだ。
 ただ、素直に告げてしまうと確実に陽介のペースに持っていかれて、あれやこれやのうちに手篭めにされそうな気がする。それは癪に障るし、何より片付けだって全く進んでいないのだ。
「……陽介。片付け」
「ん? 何だよあいぼぉ?」
 甘えた声を出しながら肩口に顔を埋めてくる。ぴりっとしたような刺激が走り、反射的に声が漏れてしまう。まさか、キスマークでもつけたのでは……。
「あれ、もしかして感じちゃったとか?」
「ばか、ちが……!」
 胸元を手がまさぐる。これ以上流されてなるものかと、懸命に抵抗する。
「だ、から片付けだ! ……お前とこういうこともちろんしてたいけど、しないと俺が怒られる」
「ちぇ……わかったよぅ」
 ようやく身体が解放された。振り向くとわかりやすいほどのへこんだ表情と対面してつい絆されそうになったが、何とか堪える。
「でもま、確かに突然お邪魔しちゃったしな。もちろん俺も手伝うぜ。たっくさんコキ使ってくれ」
「本当か? 助かるよ」
「だから、ってわけでもないんだけどよ……片付けひと通り終わったら、どっか行かねえ? 泊まりアリで」
「えっ?」
 つい素っ頓狂な声が漏れた。
 こちらの手を握りながら、恥ずかしそうに続けてくる。
「その、さ。今日はずっと、一緒にいたいんだよ。お前と二人きりで過ごしたい。もちろん、無理強いはしないけど……」
 そう言いながらも潤んだ目でこちらを見つめる陽介からは否定を許さない空気が滲み出ている。恋人同士になってから、自分に対してはこうして甘えたりわがままを言ったりすることが増えた気がする。もちろん嫌ではなく、むしろ嬉しい。……と思ってしまうのはやはり、相当毒されている証だろう。
「ほんと、変なところで弱気なんだから。……いいに決まってるだろ? 俺だって、今日はお前と一緒にいたい」
「ま、マジで!?」
 心から嬉しそうな姿に、つい笑いそうになってしまう。
「よっしゃ! じゃ、頑張って片付けしようぜ!」
 ジャケットを脱いで腕まくりをする陽介はすっかりやる気だ。その単純明快ぶりにとうとう耐え切れず、吹き出してしまった。
「あっ、お前何笑ってんだよ! 俺は真剣なんだぞ?」
「ごめん、ごめん。真剣だからこそ笑っちゃって」
「ったく、相変わらずひでー奴だな……でも今は片付けだ片付け!」
 全力で張り切る陽介のおかげで、片付けはかなり捗った。